2030年のタイムカプセル

つまらない大人にはなりたくない。

喪失感に寄り添えたのか


 終末期病棟の中にあるバー。時には病室にカクテルを出前することもある。病室で患者さんとお話したり、時にはマッサージなどのサービスをすることもある。

 マッサージといってもしょせん素人がやることだが、一応、病院で用意している研修プログラムがあって、プロの人について基本的なことだけは身につけている。アロマオイルを使ったセラピーの真似事もやったりする。

 コウヤマさんは50代前半の男性。病気になるまでは本格的なスポーツマンだったそうで、今でも「寝たきり生活はごめん」と病室でリハビリに励んでいる。ある日、カクテルとマッサージのリクエストがあったので病室を訪問した。

「だんだんからだが動かなくなってきて……」とコウヤマさんは笑う。かなり無理なリハビリをしているようだ。「さて、今日はどこからやりましょうか」とあえて明るい感じで尋ねる。

「マッサージでよくなるかどうか分からないけど……」と口ごもる。誰にでもストレートな物言いをするコウヤマさんには珍しいことだ。「右足の指先がしびれているような感じがずっとあるんだ」という。ベッドに寝たきりになっていると、血行が悪くなって麻痺しているような状態になることがよくある。血行が悪いから手足が冷たくなっている。両手で包み込むようにして、心臓に向かって強めにさすってあげると楽になる場合が多い。

 そういうようなことをコウヤマさんに伝え、「まず軽めにやってみましょう。痛いようだったら言って下さい」と提案する。コウヤマさんは何となく疑心暗鬼の表情。リラクゼーション効果があると言われるラベンダー系のアロマオイルを少しだけ使うことに決め、「失礼します」と言ってコウヤマさんの下半身を覆っている毛布をどける。そこで僕の手は止まってしまった。

 (ミギアシノ、ユビサキガ、シビレテイル)
 そう言ったよね、コウヤマさん。

 コウヤマさんの右足は、ひざから下が、なかった。

 思わず絶句してしまった僕にコウヤマさんが声をかけてくれた。「前の病院で切断したんだけど、ないはずのところがしびれている気がするのは本当なんだ」

 こういうケースがあることは、ホスピスのドクターから話に聞いたことがあった。身体の一部を失った喪失感で、ないはずの部分が痛くなったりすることがある。スポーツ選手などにこうしたケースが多いという。プロ野球のピッチャーが事故で利き腕を失った場合など、指先の感覚を脳が覚えていて、喪失したという実感がわかないことがあるそうだ。

 いつまでも絶句しているわけにもいかない。気を取り直して、言葉を搾り出した。「とりあえず太ももの方から軽くマッサージしてみましょう。血行がよくなれば少しでも楽になるかも知れないし……」
 オイルを右足の太ももに薄く塗り、マッサージを始めた。自分の手のひらに神経を集中し、テレパシーも送った。

 コウヤマさんは目をつぶって、何も言わずに僕のマッサージを受け入れる。そのまま20分ぐらい経っただろうか、コウヤマさんは目を明けて「ずいぶん楽になったよ、ありがとう」と言葉をかけてくれた。
 その後、プロ野球の話とか、とりとめのない会話を少しして病室を出た。

 コウヤマさんは僕に気を使ってくれたのだろうか。いまでは知るすべもない。


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ホスピス掲示板より

 ★ある日の掲示板

テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ

  1. 2007/10/06(土) 20:20:51|
  2. ホスピス
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心の葉っぱ


 いまはもう使われることのない、平安時代の言葉に「心葉」というのがあると聞きました。《こころば》と読むそうです。

 人に何かものを贈ったりする時に、季節の花や押し花を添えて気持ちを伝える行為を意味する言葉だったそうです。

 豪華な花束もいいけれど、何かに添える一輪の花で季節感を演出するのも素敵ですよね。

 突然こんなことを考えたのは、週一回ボランティアをしているホスピスで、「言葉の風景」(野呂希一・荒井和生著/青菁社)という本に出逢ったのがきっかけでした。何気なく使っている言葉を季節ごとに集め、写真とともに紹介した本で、この筆者は他にも「文字の風景」「こころの風景」などのシリーズを手がけています。どれもきれいな本で、贈り物にもいいのではないかなと思います。

本・言葉の風景


 いまの季節はホスピスの庭も夏枯れですが、たとえ花がこぼれんばかりに咲いている季節でも、過剰にならないように気をつけているつもりです。ぼくは変なところでサービス精神がある分、「あれもこれも」になりがちなので、気をつけたいと思います。一輪の花、一枚の葉を大切にあしらわなくては……。

花★070304矢車草


 「こころば」という言葉もこの本で知りました。

 この本で《春の章》をみていくと「立春」「春めく」「めばえ」「きざし」などのいかにも春らしい言葉の中に「漲る(みなぎる)という言葉もあります。もともと春の言葉とされていたらしい。春の語源は「張る」または「発る」。その「張る」にサンズイがついて「漲る」に化けたそうです。。雪解けの水が溢れるばかりに満ちる様を言い表した言葉です。

 ちなみに、勢いよく水が飛び散る様は「迸る」(ほとばしる)。「飛び散る」が「とばしる(と走る)」⇒「ほとばしる」に変化したものです。名詞形は「とばしい」。

 トラブルなどに巻き込まれる意味の「とばっちり」は「とばしい」からの転用とのこと。

 春でもないのに最近、仕事がらみで「とばっちり」が多いのは、季節感が希薄になっていることとは関係ないとは思いますが……。



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  1. 2007/08/29(水) 19:16:48|
  2. ホスピス
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夫婦の距離感


 婦でホスピスに入院してきた患者さんがいた。奥さんの方がまだ状態はよく、これまでの夫婦の関係もあってか、ご主人の世話をする場面をよく見かけた。

 ご主人は病気の影響で、言葉がうまくしゃべなくなっていた。声は出るのだが、言葉がどうしても聞き取れない。医療スタッフとご主人の意志の疎通の多くは奥さんを通じて行われていた。それがストレスになって、時々奥さんに当り散らすことがあったようだ。病室の前を通ると、意味不明の怒鳴り声が聞こえることがあった。

 だんだん病室は重苦しい空気になる。

 やがて奥さんは転院する。一度は無理と言われたが、手術できる可能性を求めたらしい。

 そしてご主人は独りになった。

 少し緊張しながらボランティアが病室に伺うと、ご主人はベッドの上でスケッチブックを持って迎えてくれた。

 少し震えた文字でこう書いてあった。

「わたしは言葉がうまくしゃべれないので、ごめんなさい。いつもありがとうございます。みなさんには感謝しています」

 コミュニケーションを奥さんに丸投げしていたようなご主人は、自分で意志を伝えようとするようになった。短い言葉を区切るように、ゆっくりと搾り出そうとする。その宝石のような言葉を、受け取る方も懸命に聞き取ろうとした。


 主人は時々、煙草を吸うためロビーに出てくることがあった。火の危険があるし、ベッドごとの移動になるので付き添いも必要になる。ナースといっしょに移動の手伝いをした。

「奥さん、どうしてるかしら?」
 付き添いのとき、何気なくナースが漏らした言葉。横で聞いていた僕も、言葉を発したナースも思わずはっとする。

 ご主人は少しだけ辛そうに、一語一語言葉を搾り出した。
「きっと、元気でやってるさ」

 そう言って笑った。


老カップル7

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  1. 2007/08/08(水) 18:30:30|
  2. ホスピス
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風のように


 ホスピスにおいてボランティアというのは極めてあいまいな存在だ。

 仕事がないわけではない。それなりに忙しく立ち働くこともあるが、いなくてはホスピスの運営が立ち行かなくなるわけではない。また、医療機関としてボランティアがいなくては運営できないという状況であってはいけないだろう。
 ということは、「無償で使える労働力」というのはボランティアの存在意義としてはちょっと違うと思う。

 僕が活動してるホスピスは、若干のトレーニングプログラムを用意してくれている。初級レベルのカウンセリング講座、マッサージやアロマセラピーなど「癒し」のスキルを高めるもの、ベッドへの移動や食事介助などの介護技術、車いすなど支援器具の操作法…などに加え、スタッフの業務カンファレンスへの参加も認められている。ボランティアはかなりの割合で近親者を看取った経験を持ち、がん患者への関わり方を心得ている者も多い。ケアマネージャー、ヘルパー、製薬会社のMRなどもメンバーにいる。しかし、しょせんは医療の素人であることには変わりはない。
 本音の部分では、医療スタッフの中には「素人」が病棟をうろうろしている状況にやりにくさを感じている人もいると思う。

 それでは、ボランティアの存在意義とは何か?

 僕が尊敬しているドクターの言葉を借りれば、ボランティアは「風」のような存在だという。

 終末期の医療施設を人生の大団円を迎える舞台装置だとすれば、主役は当然、患者さんとその家族の人たちになる。医療スタッフは、「準主役」として脇に控える存在に例えられるだろう(僕自身の経験も含め、悲しいことに実際の病院では、医療スタッフが主役を張っているケースも多いが、それはここでは置いておく)。

 主役と脇を固める準主役がいれば舞台は一応成立する。しかし、通行人やエキストラなど「その他大勢」がいた方が、舞台演出に深みが加わることもあるだろう。

 それが僕たちの役割ではないかと思う。医療スタッフと患者さん、家族だけでは生まれがちなある種の閉塞感にわずかでもアクセントを加える存在として、ボランティアは求められているのだと考えている。それをドクターは、ボランティアに敬意を表して「風」に例えてくれているのだ。

 「風」にもいろいろな吹き方がある。「追い風」「向かい風」「突風」…「風当たり」という言葉もある。可能であればさわやかな「そよ風」でありたいと思う。

 せめてホスピスは「北風」が入ってこない快適な空間であることを願う。日常生活ではいろいろあるが、ホスピスのドアを通り抜ける時には、気持ちをリセットして臨みたいと思う。

 やさしい「風」であるために。


初出:2005年07月08日

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  1. 2007/08/06(月) 20:21:10|
  2. ホスピス

いわなくていい一言


 僕は決してストイックなタイプではないが、これだけは心に決めていることは「がんばっている人にこれ以上『がんばれ』なんて言わない」ことだ。

 週1回ホスピスでボランティアをしているが、天気の良い日は患者さんを車椅子に乗せ、病院の周りの散歩におともすることがある。そんな時最大の障害になるのが、近所のおばさんたちの心ないはげましの言葉。

 「大変ね。つらいでしょ。がんばってね」

 ホスピスに入院している人たちの多くは、自分の人生が残り少ないことを自覚して1日1日を一生懸命生きている。家族に何かを残そうとしている人、最期まで自分でトイレができるためにリハビリに励んでいる人、こんなに真剣に日々を過ごしている人はいないだろうと思える人ばかりだ。

 ホスピスに入って語学の勉強に力を入れる人さえいる。「せっかくこれまで身につけてきたことを、ここにきて忘れてしまうのはいやだから」と言って、ノートに新しい単語を書き付けている姿をみると、切なくなると同時に、純粋に感動してしまう。その辺の、惰性で生きているおばさんの何年分を1日で生きている。

 「がんばって」と言われた患者さんは大抵苦笑いを浮かべ、「ありがとうございます」と応じるが、横にいるこちらが何か一言言ってやりたくなる。


 知り合いのカウンセラーで思わずこの「禁句」を口にしてしまった人がいる。彼女のクライアントが大変な努力をして、彼女には症状が快方に向かっていたように見えた。事実、そうだったんだろう。もう少しで普通の日常生活に戻れると考えた彼女は、クライアントの帰り際、「がんばって下さいね」と声をかけた。クライアントはにっこりと彼女にほほえみ、ドアを閉め、そのままビルから飛び降りてしまったそうだ。


 言葉は生き物だ。一度自分の口から発せられた言葉は、語り手の意思とは独立して一人歩きを始める。

 これ以上がんばれないほどがんばっている人に対して安易に「がんばれ」と声をかけるのは想像力がない行為だと思う。

 想像力がないやつは、嫌いだ。


※前のブログから再録。掲載日は不明。

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  1. 2007/07/25(水) 18:39:06|
  2. ホスピス

森のように生きるということ。


 ホスピスに勤務している、僕が尊敬しているドクターが言っていたこと。

 「森のような存在でありたい」

 その時は、ドクターの真意を聞くことができなかったが、この言葉を僕なりに解釈してみた。

 日々、自分の内側からさまざまなものが生まれていく。そのうちのいくつかは芽を出し、花を咲かせ実をつけることもあるだろう。実がついたら、周りの人たちに少しでもお裾分けする。花が咲いたら誰かといっしょに楽しむ。

 森だから、積極的に探索も試みる。時にはやんちゃな小動物が顔を出し、驚かされることがあるかも知れない。毒を持ったヘビや凶悪な牙を持った猛獣でないことを願っているけど。毎日何が出てくるかワクワクしていたい。

 あの時、ドクターが言おうとしていたことはそういうことだったのだろうか?

 別の日、ドクターと話をする機会があった。「森」の話を覚えているかどうか分らなかったけど切り出してみる。

 「でもドクター、森だから迷うこともありますよね」

 ドクターが答える。
 「もちろんある。でも、それは自分の森なんだ」

 たったそれだけのこと。でも、なんだかうれしい気持ちになった。






森のイメージ1


 これは、ちょうど1年前に別のブログに書いた日記。なかなかこういう風には生きられないのだ。遭難しそうになることもしばし。それと最近、僕の森の中にゴリラがときどき登場するのだ。
 尊敬するドクターは「がんの人以外もケアできる場所を作りたい」と言ってホスピスを辞め、ケアマンションに診療所を開設した。

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  1. 2007/07/25(水) 18:36:53|
  2. ホスピス

不器用なひと。


 《男らしさ》とは時に厄介なもの。それでも、完全に捨てるのは難しい。ケースバイケースと割り切るのも簡単じゃない。実は、僕も意外とこだわってしまうタイプ。少しぐらい窮屈でも、損するとわかっていても(でも、仕方ないじゃないか)と自分に言い訳したりする。そういう《男らしさ》は、大抵、独りよがりの自己満足だったりする。よく「馬鹿じゃん?」と言われてしまう。

 女性に評判の悪い《男らしさ》の一つは、「自分のことをあまり語らない」ということではないかと思っている。特に団塊の世代とかに多いと思うのだけど、僕ぐらいの世代の男にもちらほらとみられる。弱い部分は見せたくないし、言い訳もしたくない。でも基本的に器用じゃないので、隠しおおせないことの方が多い。そこを突いて「心を開いてくれてない」と責められると、「説明する義務はない。何でいちいち話さなくてはいけないのか」などと言い返してしまい、喧嘩になる。そして…負ける。

 数年前、山田太一のドラマだったと記憶しているが、高倉健と八千草薫の夫婦のドラマを観た。定年を間近に控えたサラリーマン夫婦の設定。健さんは往年のヤクザ映画に出てくるように「男は背中で語る」という生き方を貫いていたのだが、そこを「コミュニケーション能力の欠如、パートナー失格」と奥さんに烙印を押されてしまうのだ。あれは結構ショックだった。

 ホスピスに入院してきたタチバナさん(60代の男性)は、健さんとはタイプは違うけど《男らしい生き方》への拘りが強い人だ。
 とにかく同情されるのが耐えられない性格だったらしく、終末期の病人なのにポーズをつけないではいられない。女性から見れば間違いなく《男性権威主義者》と映るだろう。病人扱いされたくない。入院患者さんをつかまえては「調子はどうですか? 元気出して下さいね」と声をかけまくる。(自分は違うんだ)と全身で訴えている。
 「ここにいると病人のような気分になってしまう」と毒を吐く。正直、若いナースには扱いかねるところもあったように見えた。

 気さくな感じなのに人を寄せ付けないようなところもあった。詳しい家庭の事情は知らないが、家族の人をはじめタチバナさんのところには見舞い客が全く来なかった。日中は僕たちボランティアが話し相手になることが多かった。タチバナさんは「自分には信頼してくれて、頼ってくれる人間が何人もいる」とよく話していた。


 豪放磊落な様子でも、ホスピスに入院してくる人だから、体調は少しずつ下り坂になっていく。もの忘れが激しくなり、足が弱ってきた。車椅子での移動になると、病室の外に出てくることも少なくなった。時々煙草を吸いに出てくるとき、そのお供(火の見張り)をしながら話をするぐらいになった。
 女性に弱みを見せるのを嫌がる人だから、話相手には男のボランティアが選ばれることが多かった。僕たちの前ではタチバナさんは力なく笑い「すっかり病人らしくなっちまった」とこぼした。前はできていたのに、今はできなくなってしまったことを、文字通り指折り数えた。

 ある時、僕が煙草のお供につくと、タチバナさんは無心に携帯電話をいじっていた。
 「ちょっと頼みごとがあって、仲間の一人に連絡を取りたいんだが電話の調子が悪い」という。
 「悪いけど、代わりに電話をかけてくれないか? 相手が出たらボクが出るから」
 電話した。受話器からメッセージが流れてきた。

 「おかけになった電話番号は…現在使われておりません…」

 「何だって?」
 「…この番号は使われてないようです」
 そう答えざるを得なかった。タチバナさんは僕の言葉の意味が瞬間、理解できなかったようで、しばしの沈黙の後、「あいつ…逃げやがったか」と言葉を搾り出した。

 「じゃあ、こいつとこいつに電話してくれる?」
 タチバナさんのアドレス帳に書かれている名前は数名しかいなかった。言われた二人の番号にかけた。同じメッセージが二度流れた。

 「おかけになった電話番号は…」

 次の週も窓辺で携帯電話と格闘するタチバナさんの姿を見かけた。

 「…こんなことも…できなくなっちまった」と呟きながら、僕の姿も目に入らない様子だった。使われていない電話番号に電話をかけ続けていた。

 その次の週から、タチバナさんは病室から全く出てこなくなった。人に甘えられない人は、時々こうなってしまうようだ。どこまで踏み込むか。とても難しい問題だといつも迷う。


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テーマ:大切なこと - ジャンル:ライフ

  1. 2007/07/24(火) 15:57:31|
  2. ホスピス
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思い出に生きるということ。


 「カップが好きでね、あたくしも行ったことありますけどさ…」
 ホスピスにいると患者さんの昔話に耳を傾けることも少なくない。コバヤシさんは70代の女性。足が少し不自由だけど、髪もきれいに整えて、ちょっと目には病人にみえない。若い頃は海外にもよく出かけたらしく、コバヤシさんの昔話を聞くのは楽しい。この日は、ハンガリーの陶器の話に花が咲いた。

 「ヘレンドというメーカーなんですけどね、あたくしはそこのカップが好きで、工房まで出かけたことがあるんです。まだ直行便がなくて…今はあるのかしら…それはともかくパリ経由で行きました」

 ラウンジの開店までは間があるが、カウンター越しに話を聞く。話に力が入って喉が渇いたらしく、コバヤシさんはセルフサービスのコーヒーに手を伸ばす。

 「え…と…お金はどこに入れるんでしたっけ?」
 この光景にも慣れた。コバヤシさんは、最近の記憶を長い間保持していることができなくなっているのだ。でも、他人にものを教えてもらうのは嫌なタイプの人。だから、メモに書いて渡してあげるようにしている。ラウンジの開店時間、コーヒー一杯の値段、お金の払い方…など。これまでも随分メモを書いて渡した。出前はどうやって頼むか、外出届けは誰に渡すか、ちょっとした買い物ができるところは…などなどなど。そのメモたちを肌身離さずに持っている小さなポーチに入れているのだ。そうしないと「メモをもらったことを忘れてしまう」のだそうだ。

 実のところ、ラウンジの開店時間はあってないようなものだ。お見舞いの人に開放する時間帯は決まっているが、入院患者さんはいつでも好きなものを注文することができる。
 ボランティア仲間のナカダ君は「患者さんには開店時間なんて関係ないんだから、いつでも好きな時に声をかけて下さい」と言って、ラウンジの開店時間のメモを渡さなかった。気の毒に、そのせいでコバヤシさんから恨まれてしまっている。

 「あの人は、頼んだのにメモを書いてくれなかった」と。

 「いつでも好きな時に〜」と声かけされたことはすっかり忘れてしまっているのに、何かを《してくれなかったこと》だけはなぜか覚えている。どういうメカニズムかは分からない。

 でも、いっしょにいる人は、きっと辛い気持ちになることが多いだろう。《点》でしか関わらないボランティアだから、比較的穏やかに接していけるのだと思う。

ヒカリの国のヤマアラシグレー


 コバヤシさんは《ラウンジのお金の払い方》について書かれたメモを発見して、小さな貯金箱に50円を入れた。コーヒーをカップに注ぎ、話の続きを始める。

 「ハンガリーは昔から、寄ってたかってボコボコにされた国なんです」

 「それは…侵略されたりとか、そういうことで?」

 「そう。それだからラビのおじさんが壁に向かって泣いてるんです。これからもずっと泣くんでしょうね。よく涙が出るものですね」

 ラビのおじさんの涙も、コバヤシさんには楽しい思い出だったようだ。

 いずれにしてもコバヤシさんは、これから新しい思い出を重ねることはあまりない。それについて周りができることはほとんど何もない。せいぜいが聞き役を務めることぐらい。幸せな気持ちになれる思い出せる思い出があるのなら、残された日々を思い出に生きるのもそんなに悪いことではないのかも知れない。



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テーマ:できることから - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2007/07/24(火) 15:54:07|
  2. ホスピス
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忘れてはいけないルール


 常連同士が意気投合し杯を重ね、予想外の忙しさになる。めったにあることではない。ここはホスピスの近くにある、がん患者とその家族のためだけに作られたバーだから。

カクテルセット


 ホテルのバーにはかなわないけど、それでもそれなりに酒は揃っている。ウイスキーがお好みで、いつもは水割り専門のシンジョウさんの奥さんも、この日は他のお客につられてカクテルに挑戦。「ウイスキーベースでおまかせ」とのことなので「キングスバレー」をチョイスした。緑色の材料を一切使わずにきれいな緑色に仕上げるのがこのカクテルのポイント。甘くなく、すっきりとした飲み口。

キングスバレイ

 ●スコッチ4/6 コアントロー1/6 ライムジュース1/6 ブルーキュラソー1tsp


 かなり強いが甘口がお好きなハナダさんのお嬢さんは「花椿」をオーダー。果実系が好きな人にはおすすめだ。

花椿

 ●ブランデー40ml クレームドカシス10ml フランボワーズ10ml ライムジュース1tsp


 ご主人がホスピスに入るまでバーに来たことがなかったというヤナギダさんの奥さんは、この日がカウンターデビュー。「全然強くないの。私に飲めるのあるかしら?」と、少しだけ不安げなご様子。結局「おまかせ」とのことだったので、「飲めない人用」に準備していた新しいメニューの中から「ボヘミアンドリーム」を出してみた。お気に召すかな? オーケーだったようだ、よかった。

ボヘミアンドリーム

 ●アプリコットブランデー15ml グレナデンシロップ30ml オレンジジュース2tsp レモンジュース1tsp ソーダ水
※写真は炭酸控えめのタイプ。通常はタンブラーに入れて出します。


 たくさんのカクテルグラスが空になり、そろそろ閉店の時刻。最後のお客を送り出し、「閉店」の札をかける。このバーのバーテンダーを務めるうえで忘れてはいけない一つのルール。それは「次の約束をしない」こと。「またお待ちしています」と言わないこと。僕は週に一度、金曜日だけこのバーでシェーカーを振るだけの存在。次の金曜日には、今日のお客さんたちの誰かがいなくなっているかもしれないから。

 今夜、すてきな時間な時間を過ごせてもらえたのなら、そのことに感謝しよう。明日のことは誰にも分からないから。 



初出:2005年05月31日

テーマ:人生哲学 - ジャンル:ライフ

  1. 2007/07/10(火) 10:31:00|
  2. ホスピス
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「細く、長く」という選択肢


 みなさん、はじめまして。日曜日に活動している河上と申します。2カ月間のボランティア研修講座も今日が最終日ですね。ボランティアの日常の活動について少しお話させていただきます。

 現在日曜日は人員の関係もあって、活動内容が平日に比べシンプルになっています。午前中の主な仕事は公共スペースの清掃・環境整備、洗い物に食器の整理、花の水替え、庭の手入れ、魚の飼育などがあります。昼食の配膳をしていわゆるルーティンワークは一段落です。
 あとは患者さんや家族の方のニーズに応じて…ということになります。話し相手をすることもあれば買い物の代行、散歩の付き添いやマッサージをすることもあります。30〜40代で入院する方もいます。子どもが小学生ぐらいでまだまだ手がかかります。夫婦で今後のことを話し合う時間も必要ですし、残り少ない時間を二人で過ごしたいという気持ちもあるでしょう。そんな時にお子さんの相手をすることもあります。
 今日の主な活動「ドラえもんのビデオを子どもといっしょに観ました」という日もあります。

 午後はラウンジで喫茶のサービスを担当しています。夜はカクテルなどお酒も出しますが、昼間のラウンジのメニューは珈琲、紅茶、抹茶、ココアにジュース各種。今の季節の人気メニューはかき氷ですかね。

 それと、年3回発行している「ホスピス通信」という小冊子の編集作業をしています。これをまとめたものが過去に二度本になっていることはご存知だと思います。みなさんが受講しているボランティア講座のテキストにもなっていますから。

 さて、本日はボランティアコーディネーターから「男性としてボランティア活動にどう取り組んでいるか」について話をするよう言われています。今年は約50名の方が講座を受講されていますが、そのうち男性は6名と伺っています。現在約100名が活動しているボランティアのうち、男性の比率は1割です。僕が始めた時に比べると倍近くになっていますが、この数年この比率はほとんど変わっていないようです。その意味ではホスピスボランティアというのは女性中心の世界なんですね。

 与えられたテーマについて自分なりに考えてみたり、同僚のボランティアと話し合ってみましたが、結論からいうと、僕は男女の壁って意識したことあまりないんです。もともと「男性用の仕事/女性専用の仕事」というものはありませんから。
 ただ、常識的に線で女性のボランティアとの仕事の割り振りは行っています。女性の患者さんのマッサージを依頼された時は女性のボランティアが担当するとか、男ではよく分からないような買い物の依頼を受けた時も「お願いします」と女性に任せています。あとは荷物を運ぶときは重たい方を持つとか…あくまでも常識的なラインでやってます。

 それでも、一般的に縫い物とかアイロンがけとかは女性の方が得意なことが多いですよね。女性の側でも男に任せることに抵抗がある方もいらっしゃるので、男性ボランティアはルーティンワーク以外に「自分の仕事」を探して自分らしく活動している方が多いようです。

 日曜大工が得意な人は、庭のベンチのバランスが悪ければ修理するとか、建築事務所で働いている人はドアの建て付けを調整するとか、介護関係の仕事をしている人は車椅子のタイヤの空気が適正に入っているかチェックするとか…。木登りが得意な人は屋根の樋につまった落ち葉を掃き掃除するとか…ね。
 僕の経験では、お酒が好きなので、夜のラウンジで季節感を演出したオリジナルカクテルを考えてみるということがありました。

 女性の方が柔らかくしなやかに対処できることが多いので、女性が動きやすいように気を配ることができれば大丈夫なのではないでしょうか。

 「普段の活動で心がけていることを最後に述べろ」とリクエストがありましたので答えてみたいと思います。
 ホスピスに入るには二枚のドアを通りますよね。一つ目のドアを通れば公共スペースに入れます。二つ目のドアを抜けるとプライベートな空間に足を踏み入れることになります。
 二つ目のドアを通る前に日常を引きずるのはやめて、気持ちをリセットすることを心がけています。実際はなかなかできないこともあるんですけど…ね。
 それと、家族の理解を得られるようできるだけ配慮すること。ボランティアを始める前、僕は結構仕事人間で、職場と家を往復する毎日でした。言葉は悪いですが、家事ができなくても「仕事に逃げる」ことができました。それが…ホスピスに来るようになってから通用しなくなってしまいました。

 ある日の家族の会話。

 「家事よろしく」
 「忙しくて無理かも」
 「ボランティアはできるのに? 家族のためにボランティアしてよ」

 チョンチョン。特に男性の場合、家族を敵に回すと継続的な活動はできないと思います。

 ホスピスでボランティアするなら「細く、長く」という考えでやることをお勧めします。10年前に比べてホスピスに関する情報は増えています。みなさんもそれぞれの「ホスピスのイメージ」をお持ちだと思います。でも、本に書かれているようなドラマチックな出来事は毎日起こっているわけではないのです。
 「とりあえず1年やってみよう」と思うことは悪くないと思います。でも「この1年はこれに賭けよう」とは思わない方がいいのではないでしょうか。イメージと実際のギャップが大きすぎることになるかもしれないし、働きながら活動することは意外と大変な時もあります。あれもこれもと詰め込みすぎては、何かあった時に全てがガタガタになってしまう怖さもあります。どのみち、1年では見えてこないことがあり過ぎます。

 僕が見えているとも思ってはいません。おそらく何年やっても見えるものではないのかも知れません。
 ボランティア活動を難解な、長い映画に例えれば、今日で研修を終える皆さんは、失礼ながらレンタルビデオで映画のパッケージを読んだという段階なのかもしれません。活動を始めてからも最初の3カ月は先輩について実地研修を受けることになります。1年やってみて、ようやく映画の予告編を観たというところかも知れません。「自分らしく」活動したいという方は、自分のペースで、長い目で活動することをお勧めします。この映画は何度も観ても、観るたびに印象が変わります。「予告編」だけ観て終わりではもったいありません。


 つたない話を聞いて下さってありがとうございました。いっしょに活動できるのを楽しみにしています。




 6月29日に新人ボランティア研修で10分間のスピーチをした時のメモより。
 「森の話」は時間がなくてできなかった。



テーマ:人生哲学 - ジャンル:ライフ

  1. 2007/07/10(火) 01:30:16|
  2. ホスピス
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