2030年のタイムカプセル

つまらない大人にはなりたくない。

「こんなはずじゃなかった」にならないように


 病院でボランティアをするようになってもうすぐ10年になる。今年もボランティア希望者を対象にした研修が始まり、秋には新しい仲間が誕生することになるが、ボランティア志望者の趣きがこの数年でずいぶん変わったように思う。


 ホスピスボランティアを希望する人の動機はさまざまだ。身近な人をがんで亡くした人、ホスピスに関する書籍を読んでホスピスの理念に共感した人、自分の人生の節目(子供が結婚した。定年退職後の生きがいなど)に新しいことを始めたい人、信仰的な理由(僕が通っているホスピスの母体はキリスト教系の社会福祉法人。ちなみに僕自身は特に信仰は持っていない)、家が近い人(笑)…などなど。きっかけはさまざまだが、基本的には「自分のフリータイムを人のために使いたい」ということが気持ちの底にあるという点で共通している。

 ところが2、3年ほど前から、ボランティアの志望理由に「自分のため」と謳う人が明らかに増えている。もちろん「他人のため」にボランティアを志す人も、最終的には「誰かに喜んでもらった」というやりがいや満足感が自分にフィードバックされるから続けていけるわけだから、ある意味では「自分のため」でもある。しかし、最近の希望者は「自分のキャリアアップになると思って」と、まず「自分ありき」という人が増えている気がするのだ。

清流1


 確かに、他人を思いやる余裕がなくなっているのは世の中全体の風潮だ。企業のボランティアに対する見方もこの数年で一変した。数年前は大企業が「ボランティア休暇」を認め、「社会貢献」を大いにアピールしていたものだが、最近は「そんな暇があったらかせいでこい」と上司に言われかねない状況だ。事実、僕もボランティアをしていることを職場ではほとんど誰にも話していない。ほとんど「隠れキリシタン」状態になって今に至っている。

 それはともかく、僕が知る限り、ホスピスボランティアを「自分のキャリアアップ」のため、または「自己啓発のため」に始める人は挫折する可能性が高いようだ。たとえば看護師の資格を持っている人が、終末期の現場に医療の専門職とは違った視点で関わりたいという場合は、この限りではない。とても有意義なことだと思う。ところが医療や介護と全く畑違いの仕事をしている人が「いつか福祉関係の仕事に就きたい」という理由でボランティアを志すケースを最近よく見かけるようになり、この場合は「時間と労力の振り分け方が少し違うのでは…」と感じてしまうことが多い。
 別にボランティアをしたからといって資格が取れるわけでもないし、働きながら専門職への転身をめざすなら、ボランティアに割ける時間はあまりないのではないかと思うのだが…。


 実際に、「福祉の仕事をめざすOLさん」たちと活動をいっしょにしたことが何度かあるが、そういう人たちはとにかく余裕がない。平日フルタイムで仕事をし、夜は資格を取るために学校に通う。そして日曜日はボランティア。恋愛を含めプライベートの生活はすべて土曜日に片付ける。そんな生活は、一つ歯車が狂っただけですべてがガタガタになる危険性がある。

 たとえば仕事が急に忙しくなり、学校の課題提出が滞りがちになる。ストレスが溜まって彼氏とはケンカばかり。そんな状態で、残り少ない命を懸命に生きている人や心身ともに疲れ切っている家族の人たちの気持ちに沿えるわけもなく、相手を傷つけたり、それによって自分が傷ついたりしてしまう。

 そしていつの間にかボランティア登録から外れていく。辞める人はほとんどと言って良いほど「こんなはずじゃなかった」というようなことを口にする。周りの人間地はほとんど(こうなると思った)と思っている。

 人それぞれいろんな価値観があって良いと思うし、あるべきだと思うが、ボランティアをやるのなら「世の中、金も必要だし、キャリアも欲しいけど、それだけじゃないよなあ」と思っている人間じゃないと難しい。

初出:2005年06月01日

 明後日はボランティア研修講座で体験談を話すことになっているのでこれに関する日記を探しておりました。1年前のこの日記を読み直してみると、ずいぶん偉そうなことを書いているなと思います。


テーマ:人生哲学 - ジャンル:ライフ

  1. 2007/07/07(土) 10:45:30|
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